皮膚科学と幹細胞
前回はバイオプリンターによる再生医療に使用されている幹細胞についてまとめてみました。幹細胞には、さまざまな細胞になることができる能力(多分化能)と、自分とまったく同じ幹細胞をコピーできる能力(自己複製能)がある、ということでした。
現在、化粧品業界ではこの肌の幹細胞の研究が盛んに行われています。この幹細胞の力により、従来の足りないものを補うケアだけでなく、肌細胞自体に働きかけ、自己の力で再生するスキンケアという、全く新しいアプローチをとることが可能となるのです。
私たちの肌は、表皮と真皮で成り立っており、それぞれに表皮には表皮幹細胞、真皮には真皮幹細胞というものが存在しています。

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表皮幹細胞は基底層に存在し、角化細胞を日々作り出しています。つまり、表皮幹細胞のはたらきが活発であれば、常に新しい細胞が生成され、安定したターンオーバーを保つ事ができます。
ターンオーバーと表皮のはたらきに関してはこちらの記事にまとめております。
真皮幹細胞は、肌のハリや潤いを支えるコラーゲン、エラスチン、ヒアルロン酸の素となる線維芽細胞を作り出す事ができます。この真皮幹細胞を多く保つ事ができれば、シワやたるみを防ぐことができます。
私は特許翻訳を生業としている者なので、幹細胞コスメとは一体どういうものなのかを、企業が出している実際の特許明細書をもとに見ていきたいと思います。今回は、資生堂の幹細胞に関する特許(特開2019-26617)を紹介します。
資生堂の幹細胞賦活剤
まず、幹細胞は多分化能と自己複製能力を併せ持つ細胞と言うことでしたね。ここで、自己複製能力というのは、幹細胞が複数の細胞分裂の周期を経ても、未分化状態を維持し、母細胞(複製元の細胞)と娘細胞(複製された細胞)が同一である細胞を作り出す能力がある、ということを意味します。
多分化能と自己複製能力というのは、いわば相反する能力であると言うことが言えるでしょう。
しかし、所望の部分で幹細胞の効果を発揮させる、つまり幹細胞の自己複製能力を発揮させるためには、幹細胞を未分化なままで維持しなければなりません。

また、間葉系幹細胞を賦活化(活性化させることをいいます)させることによって何が起きるかというと、組織の恒常性の維持や、創傷細胞の修復や再生が可能となるということです。
その理由は、間葉系幹細胞は血管の周皮細胞(ぺリサイト)として全身の血管に存在しており、ぺリサイトは血管が破壊されると血管から離れて増殖し、失われた細胞を供給するとともに、生物活性を持つ因子を放出して組織を保護し、損傷した組織を修復し、再生することができるからです。

外側の青い部分がペリサイトです。
ペリサイトとは?
ちなみに、ペリサイトというのは、毛細血管や細静脈における壁細胞のことです。
内皮細胞は血管の内腔面を一面に覆っていますが、基底膜(上皮細胞と結合組織を仕切る膜のこと)側から内皮細胞に接着している細胞は壁細胞と呼ばれます。
下の図でいうと、基底膜:basement membrane、血管内皮:endotheliumを意味しており、血管には、血管を裏打ちする内皮細胞があって、その外側に基底膜が存在し、ペリサイトはこの基底膜から内皮細胞を覆っている、という構造になっています。

この特許では、そのような間葉系幹細胞の未分化性を維持しつつ、肌組織の修復・再生に有用なものとして、ヒドロキシプロリンという成分を使用することが開示されています。
ヒドロキシプロリンとコラーゲン
ヒドロキシプロリンは、コラーゲンの主要な成分であり、コラーゲン以外にはほぼ存在していません。

コラーゲンは3本のペプチド鎖で構成されており、それらが互いに巻き付き合い強固な三重らせんを形成しています。この三重らせんのほつれ部分(テロペプチド)が別のものとペプチド結合して、コラーゲン繊維となります。こちらで以前勉強しました。

図のように、コラーゲンのペプチド鎖において、アミノ酸の残基は必ず
アミノ酸Xとアミノ酸Yは、脊椎動物では、Xはプロリン、Yはヒドロキシプロリンが選択的に現れます。しかし、ヒドロキシプロリンは最初からヒドロキシプロリンだったのではなく、最初はプロリンとしてリボソームによってタンパク質合成されます。
タンパク質が合成された後に、翻訳後修飾でプロリルヒドロキシラーゼという酵素によってヒドロキシ基(―OH)が導入され、ヒドロキシプロリンとなります。
このとき、プロリンのヒドロキシル化にはアスコルビン酸(ビタミンC)が必要とされています。ビタミンCはお肌にいい、といわれますが、コラーゲンの合成時にも必要なものなのです。
また、ヒドロキシプロリンは、水素結合を作ることでコラーゲンの三本鎖らせんを安定化します。つまり、コラーゲンにおけるヒドロキシプロリンの役割は、三重らせんをしっかり結びつけ、強固なコラーゲン繊維を形成することにあります。
幹細胞の未分化性の維持と肌組織の修復・再生に関する遺伝子
さて、それではどのようにして幹細胞の未分化性の維持と肌組織の修復・再生をするのでしょうか。
方法としては、特開2019-26617によると、幹細胞の培養液にヒドロキシプロリンを添加すると、以下の遺伝子の発現を亢進させることとなり、実現が可能となるということです。
(2)COMP遺伝子
(3)FMOD遺伝子
LIF(leukemia inhibitory factor:白血病抑制因子)遺伝子
白血病阻止因子とは、もともとES細胞やiPS細胞などを培養する際に、幹細胞を自発的に分化させないために培地に加えられているタンパク質のこと。LIF量が低下すると、幹細胞は分化してしまいます。
COMP(cartilage oligomeric matrix protein:軟骨オリゴマー基質タンパク質)遺伝子
軟骨オリゴマー基質タンパク質は、名前の通り軟骨にある細胞外マトリックスであり、コラーゲンや細胞接着分子であるフィブロネクチンなどの他の細胞外マトリックスタンパク質と相互作用して、生体組織の構造を維持し、創傷を治癒することができるタンパク質です。
また、細胞にアポトーシスを起こさせるシグナル伝達経路を構成するタンパク質をカスパーゼといいますが、COMPは、カスパーゼに結合して不活性化させるタンパク質(IAPファミリーといいます)を誘導し、カスパーゼ-3をブロックしてアポトーシスを阻止します。
つまり、COMPの発現量が増加すると、アポトーシスを抑制しつつ、創傷等によって破損した生体組織構造が再構築される効果が得られる、ということなのです。
FMOD(fibromodulin:フィブロモジュリン)遺伝子
フィブロモジュリンは、マトリックス糖タンパク質であり、多数の結合組織内に存在し、線維性コラーゲンと結合しています。そのため、コラーゲン組織の再生能力を向上させることができます。
以下は、ヒドロキシプロリンを添加した培養液とコントロール(ヒドロキシプロリンなしの培養液)における、それぞれの遺伝子の発現量を比較したグラフを示しています。



特開2019-26617 図2-4より
明らかにヒドロキシプロリンを添加した培養液が、LIF遺伝子、COMP遺伝子およびFMOD遺伝子を亢進させていることがわかります。
まとめ
この特許では、以上のLIF遺伝子、COMP遺伝子およびFMOD遺伝子を、ヒドロキシプロリンを適用することによって活性化することで、幹細胞の未分化性を維持しながら、コラーゲンなどの組織の再生が可能となるというものでした。
今後、資生堂から幹細胞にアプローチする新しい化粧品が発売されるのを期待して待ちたいところですね。
そんなの待ちきれない、というアナタ。実は資生堂以外でも、すでに幹細胞コスメは実用化され、販売されているんです。興味のある方はこちらをご覧下さい。
ところで、この特許を読んで感じたのは、幹細胞コスメというのは、ヒトの幹細胞を直接塗りたくるわけではなくて、幹細胞を活性化させる剤を補給することで、肌の幹細胞の働きを良くするというものということなんですね。
実際、化粧品に誰のものともしれないヒトの幹細胞が入っていると考えるとちょっと怖いですよね。化粧水のDNAが特定されたり、それこそ培養されてバイオプリンターで積層されたりしたら。3Dプリンターでも銃を作って逮捕された人がいましたし。そう考えると、これからはDNAや細胞自体が個人情報となり保護されるものとなっていくのかもしれませんね。
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