認知言語学入門始めました
前回のブログで書きましたとおり、言語学系のビデオセミナーの視聴を開始しました。
テキストはこちらを使用しています。
まず、「認知言語学」という言葉の定義は以下の通りです。
そして、認知とは、
・人間が行う知的・感性的営み
を指します。
前回、私の言語能力の限界をロボットの不気味の谷現象に例えて描写したとおりのことが書いてありました。言語とは身体的なものなのです。
さて、これらの認識を元に、基本的な認知能力としては、
(2)一般化
(3)関連付け(「連合」といわれる場合もある)
というものがあります。以下、順に見ていきましょう。
(1)比較
まず、比較というのは、他のものと比較して差を際立たせることで認識するというものです。
「象は大きい」というと、全動物内で最も大きい生き物という意味ですね。
しかし、「あのイヌは大きい」といった場合はどうでしょうか。この場合は、全動物内と比較してあのイヌは大きいと解釈する人は少数でしょう。多くの人は、イヌという種類の中で(自分が見てきた中では)比較的大きいという意味でとらえます。つまり、比較というのは主観も入った相対的なものなのです。
例えば、お隣さんのイヌと比べると我が家のイヌは大きいね、雑種だからかね。なんて使われ方をします。
幸せという概念もこれに当てはまります。結局、比較をする他人という存在があり、その人に比べて幸せか不幸かを図っているに過ぎません。
そうはいっても、比較をしないと自分がいかに恵まれているか、自分にどのような強みがあるのかなどがわかりませんよね。
このように、物事を理解するのに、絶対的に正しいかどうかは別として「比較」という概念はなくてはならないものなのです。
(2)一般化
一般化とは、次のようなものです。
→山手線の通勤時の電車
→東京の通勤時の電車
→日本の通勤時の電車
情報が下に行くほど抽象化し、枝葉の情報は抜け落ちてきます。そして、経験や個体ごとに異なる要素は排除されていきます。
一般化とは、物事の個々の物事の共通点を抽出して、共通化することです。一般化することで、ある特定の事象を他に当てはめて推論することができます。
一般化とは、科学的手法であるともいえます。科学とは、一つの事象を、数式や公理に洗練していく過程であるということもできます。
上の例で言うと、8時の新宿発の電車が混んでいるという事象を一般化して、日本の通勤時の電車が混んでいるということがいえるということです。しかし、物事は常に同じではないので、一般化には常に例外が潜んでいることを忘れてはなりません。
(3)関連付け
関連付けについては、テキストには、「比較と一般化以外の関連付けのこと」とありますが、たとえば、因果関係がこれに当てはまります。
人間の認知には、原因と結果という、連続した一連の出来事の流れが共通認識としてあります。カルマというべきものかもしれません。この認識があるため、人間は原因から結果を、もしくは結果から原因を推論することができます。
たとえば、
(Bを回避するためにAをやめよう)
逆に、
(再度Bが起きないようにAを繰り返さないようにしよう)
という推論ですね。
しかし、現代社会について言えば、このような認知が欠落していると感じることが多いのが事実です。人間が機械化している証拠なのでしょうか。
まとめ
以上の概念は、人間が世界をどう認知していくのか、ということにおいてとても興味深く感じます。人間が物事を理解し、自分の意見を発するという、言葉によって声帯を震わせる現象に至るまでに、このような概念の操作をしているということです。
これは、知らないことを既知のものにするために必要な手段です。
具体的に言うと、翻訳者にとっては、知りたい情報を検索するときのキーワード選定にこの考えを当てはめることができます。
こちらのビデオセミナーのシリーズはまだ第1講しか終了していないので、地道にコツコツやっていこうと思っています。
テクニカルライティングも一緒に学ぼう
また、これとは別に、概念と実務をつなぐものとして、テクニカルライティングの本も購入しました。
こちらはわかりやすく論理的な文章の書き方だけでなく、その実践編としてユーザーマニュアルや提案書の書き方まで解説しています。翻訳者にとっても産業翻訳に展開できる概念なのではないかと思います。
というわけで、今回は頭の中で認知してそれを文字に表すということをセットにした、言語学とテクニカルライティングについてまとめてみました。
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